1989年6月4に発生した天安門事件は、今の中国において「究極のタブー」として扱われ、AI時代となった2026年現在もなお厳重な情報統制の下にあります。
5月35日といった暗号のような隠語や、最新鋭AI「DeepSeek」に見られる回答制限など、私たちが普段目にすることのないデジタル検閲の裏側を徹底的に深掘りしてみました。
この記事が、情報の自由と歴史のあり方を考えるきっかけになれば幸いです。
天安門事件がタブーとされる歴史的背景と政治的な理由
北京の天安門広場。そこは今や、厳重な警備と顔認証システムによって守られた「静寂」の場となっています。しかし、かつてそこには民主化を叫ぶ熱気が渦巻いていました。
なぜ、あの時流された血の記憶は、国家によって徹底的に塗り潰されなければならなかったのか。その理由は、単なる過去の隠蔽ではなく、現在の統治システムを維持するための「生存戦略」でもあります。
まずは、この巨大な禁忌の出発点から確認していきましょう。
現代中国における天安門事件の定義と基本情報
天安門事件という言葉を耳にしたとき、私たちの多くが想像するのは1989年に起きた凄惨な光景でしょう。しかし、歴史を正確に紐解くと、中国には「天安門事件」と呼ばれる出来事が2つ存在します。
一つは1976年に起きた第一次天安門事件(四五運動)*1、そしてもう一つが、私たちが議論の対象としている1989年6月4日の第二次天安門事件(六四天安門事件)です。
2026年の現在から振り返ると、すでに37年前の出来事になりますが、その傷跡は今も癒えるどころか、むしろ「存在しないもの」として扱われています。
この事件は、1980年代後半の経済開放に伴うインフレや汚職、誠実な政治を求める学生や知識人のエネルギーが爆発したものでした。広場に集まった群衆はピーク時には100万人を超えたとも言われ、その熱狂は世界中に中継されました。しかし、6月3日から4日にかけて、人民解放軍が武力投入を決行。戦車と自動小銃によって、多くの尊い命が奪われました。
中国当局はこの出来事を「反革命暴乱」や「政治的風波(政治的な波風)」と呼び、犠牲者数についても極めて少なく発表していますが、赤十字や当時の目撃者による推定数値とは大きな乖離があります。正確な犠牲者数については諸説あり、現在もなお犠牲者の実数は歴史の闇に葬られたままです。
こうした中国の軍事組織の実像については、こちらの記事「人民解放軍の強さと実像|トランプが警戒する「不安定な巨人」の正体」で詳しくまとめています。
1989年の民主化運動から武力制圧に至る経緯

運動のきっかけは、1989年4月15日の胡耀邦(こようほう)(元総書記)の死でした。
彼は民主化に理解を示していたため、学生たちは彼の追悼を口実に広場へ集まり、やがてその声は「汚職撲滅」「報道の自由」「政治改革」を求める巨大な運動へと発展していきました。
当時の中国は改革開放の過渡期にあり、急激な経済の変化に対する不満と、新しい時代への期待が入り混じっていた時期です。広場には「民主の女神」像が建てられ、学生たちはハンガーストライキを決行するなど、平和的な手段で政府との対話を求めました。
しかし、共産党指導部の中では深刻な対立が生じていました。
趙紫陽総書記ら「改革派」は学生との対話を通じて平和的な解決を模索しましたが、鄧小平や李鵬ら「保守派」は、この運動が党の統治基盤を揺るがす「動乱」であると断定。5月20日に戒厳令*2 を布告しました。
そして運命の6月4日未明、長安街を埋め尽くす戦車隊が広場へと進軍し、市民に対して発砲を開始したのです。この凄惨な結末は、中国における民主化への希望を物理的に打ち砕き、現在まで続く高度な権威主義体制*3を決定づける分岐点となりました。
*3 権威主義体制:民主的な手続きより中央集権的な指導を優先し、反対派や言論を厳しく制限する政治体制。
統治の正当性と天安門事件の評価を巡る党の姿勢

なぜ中国政府は、これほどまでに天安門事件の記憶を恐れるのでしょうか。その核心にあるのは「統治の正当性」という問題です。
中国共産党は「人民のための軍隊」である人民解放軍を擁し、自らを人民の代表であると定義しています。その軍隊が、武器を持たない市民に対して銃を向けたという事実は、党が掲げる理念を根底から否定するものになってしまいます。
もし過去の非を認め、犠牲者に謝罪すれば、それは党の「無謬性」*4という神話を自ら壊すことになり、ひいては現在の体制の正当性まで問われることになります。
そのため、党は「あの時の決断があったからこそ、その後の安定と驚異的な経済発展が可能だったのだ」という論理、いわゆる「安定第一主義」を盾に、事件の評価を一切変えようとしません。私たちが目にする検閲は、単なる情報の制限ではなく、党の存続をかけた必死の防衛策でもあるのです。
このような姿勢は、習近平政権下においてもますます強化されており、議論そのものが「国家の安全を脅かす行為」とみなされることも少なくありません。
こうした徹底した言論封殺の土壌については、こちらの記事「文化大革命とタブー|犠牲者二千万人の真相と広西食人事件、検閲の闇」も参考になります。
第1次天安門事件との違いと名誉回復への壁
天安門事件という名称の混同を避けるために重要なのが、1976年の第一次天安門事件との比較です。
1976年の事件は、周恩来総理の追悼をきっかけに発生し、当時の「四人組」による極端な左翼政治への不満が爆発したものでした。当初は「反革命事件」とされましたが、毛沢東の死後に実権を握った鄧小平らによって、1978年に「革命的な行動」として名誉回復がなされました。この違いはどこにあるのでしょうか。
結論から言えば、第一次事件は「前の体制(四人組)」の誤りを正すための道具として利用できたのに対し、第二次事件は「現在の体制」の根幹に関わってしまうという点です。
第二次天安門事件の名誉回復を求める声は、1989年当時から現在まで続いていますが、それを認めることは共産党による一党支配の正当性を自己否定することに繋がりかねません。そのため、第二次事件は体制の根幹を守るために永遠に閉ざされた歴史として、厚い壁に囲まれているのです。
犠牲者遺族の組織である天安門母親の活動と現状
事件の風化に抗い続けている象徴的な存在が、遺族会である「天安門母親」です。
代表を務めた丁子霖氏ら、あの日わが子を失った母親たちが中心となり、30年以上にわたって真相究明と謝罪、誠実な賠償を求め続けてきました。彼女たちは、政府による徹底した監視や圧力、自宅軟禁といった困難に直面しながらも、亡くなった人々の名簿を作成し、その魂を弔い続けています。
2026年現在、メンバーの多くは高齢化しており、すでにこの世を去った親たちも少なくありません。しかし、その遺志は若い世代や国外の活動家に引き継がれています。毎年6月が近づくと、彼女たちの周りには私服警察官が配備され、外部との接触が完全に断たれることもあります。
このような執拗な監視は、彼女たちの存在そのものが、当局にとって消し去ることのできない良心の証であることを証明しています。正確な活動状況については、人権団体の最新レポート等を確認することをお勧めします。
事件の象徴であるタンクマンが世界に与えた影響

天安門事件を語る上で欠かせないのが、白いシャツを着て両手に買い物袋を持ち、戦車の列の前に立ちはだかった「無名の反逆者」、通称タンクマンの姿です。
あの日、長安街で撮影されたこの映像は、巨大な権力に対して一人の市民が立ち向かう勇気の象徴として、世界中の人々の心に刻まれました。多くの国で教科書に掲載され、自由と人権を象徴するアイコンとして定着しています。
しかし、当の中国国内ではこの画像は「最大のタブー」の一つです。
AI画像認識によって、タンクマンを模したあらゆるコラージュや、それに似た構図の画像は即座にネットから削除されます。驚くべきことに、中国の多くの若者はこの写真を見ても「何が起きているのか分からない」と答えるほどです。
情報の非対称性*5がこれほど極端に現れる事例は他にありません。世界が見ている「中国の記憶」と、中国国内で守られている「公的な記憶」の間には、埋めることのできない深い溝が存在しています。
日本政府の対応と国際社会による経済制裁の歴史
| 国・地域 | 当時の主な対応とスタンス |
|---|---|
| アメリカ・欧米 | 「基本的人権の侵害」として強く非難。武器禁輸や政府間融資の停止を即座に実施。 |
| 日本 | 非難声明は出したものの、「中国を孤立させることはアジアの安定に繋がらない」として慎重な姿勢。 |
| 当時の中国 | 「内政干渉」として反発。日本を窓口にして国際社会への復帰を画策した。 |
日本は、中国を完全に敵に回すのではなく、経済協力を継続することで改革開放路線を維持させ、民主化を促そうという「関与政策」を取りました。この日本の柔軟な姿勢が、中国の国際社会復帰を早める一因となったことは否めません。
しかし、2026年の今から振り返れば、その期待が裏切られたと感じる声も少なくありません。歴史に「もしも」はありませんが、当時の日本の外交判断が現在の強大な中国の形を作ったとも言えるかもしれません。
天安門事件のタブー化を支える高度な情報統制の仕組み
事件の記憶を消し去るために、中国政府が注ぎ込んでいるリソースは天文学的な数字にのぼります。そこにあるのは、単なる「禁止」ではなく、AIやビッグデータを駆使した「能動的な管理」です。
2026年のデジタル社会において、どのようにして特定の歴史がネットから消去され続けているのか。驚くべき、その精緻な仕組みの実態に迫ります。
金盾によるキーワード検閲と敏感詞の具体例

中国のインターネット空間を取り囲む巨大な壁「金盾(グレート・ファイアウォール)」。
その中核をなすのが、特定の単語を自動的に検知・遮断する「敏感詞(センシティブ・ワード)」のリストです。例えば、「天安門事件」「6月4日」「8964」といった直接的な言葉は、入力した瞬間に検索結果がエラーになるか、全く関係のない政府公式ページへと誘導されます。
しかし、リスト化されているのは直接的な単語だけではありません。事件に関連した人物名や、事件を連想させる「今日(6月4日当日における『今日』)」といった一般的な単語さえも、時期によっては敏感詞に設定されます。
2026年現在のシステムでは、単なるテキストマッチングだけでなく、文脈を理解する自然言語処理AIが組み込まれており、皮肉や隠喩を用いた投稿もリアルタイムで捕捉されます。ユーザーが言及しようとする意志そのものを入り口で挫きます。
5月35日や8平方など検閲を回避する隠語の文化

「言葉が禁じられれば、新しい言葉を作ればいい」。中国のネットユーザーたちは、当局の検閲を掻い潜るために、極めてクリエイティブな隠語を次々と生み出してきました。
その代表的な例が「5月35日」です。5月31日の4日後、つまり6月4日を指すこの表現は、数学的な遊び心と当局への静かな抵抗が込められています。
| 種類 | 具体的な隠語 | 由来・意味 |
|---|---|---|
| 日付の変形 | 5月35日 | 5月31日+4日=6月4日という数理的回避。 |
| 数式・記号 | 8平方 / VIIV | 8の2乗=64、またはローマ数字の6と4の組み合わせ。 |
| 発音の類似 | 柳丝(リウスー) | 「六四」と発音が似ている植物名を用いた隠喩。 |
しかし、これらの隠語もまた、すぐに当局のリストに追加されます。新しい隠語が生まれては消されるいたちごっこが続いています。
最近では、一見すると全く政治的でない絵文字の組み合わせ(例えば戦車に似た絵文字など)さえも、特定の文脈で使われると検閲の対象となります。この終わりのない言葉の攻防は、中国における「表現の自由」がどれほど過酷な戦いの上にあるかを物語っています。
小紅書などのSNSで強化される画像解析と削除

若者に人気の「小紅書(Xiaohongshu)」や「WeChat」といったSNSでは、AIによる画像解析が極めて強力に機能しています。
過去の天安門事件の写真だけでなく、それを暗示するようなイラストや動画も対象です。例えば、あの日広場に掲げられた「民主の女神像」に似た構図の画像、あるいは戦車の列を模したLEGOブロックの写真などが、AIによって瞬時に「有害コンテンツ」と判定され、投稿そのものがなかったことにされます。
2026年現在、生成AIの技術を逆手に取った「検閲AI」はさらに進化しており、一見すると抽象的な風景画の中に隠されたあの日を連想させる構図さえAIは見逃しません。
技術の進歩が、表現の幅を広げるのではなく、監視の目を細かくするために利用されているという現実は、非常に複雑な心境になります。
こうした「見えない監視」の最新事例については、こちらの記事「国防動員法と域外適用のリスク|隣人がスパイに?情報戦は既に展開中」でも触れています。
6月4日前後に実施される特別警戒とネット制限
毎年6月4日が近づくと、中国のネット空間は「戦時体制」に近い緊張感に包まれます。これをユーザーの間では「メンテナンス期間」などと揶揄されることもあります。
この時期、主要なプラットフォームでは「システムのアップグレード」を理由に、ユーザー名やプロフィールの変更、画像・動画の投稿機能が一時的に制限されるのが恒例となっています。
また、送金アプリ(WeChat PayやAlipay)において、「89.64」や「6.4」といった金額のやり取りが不可になるという、金銭面での制限までもが行われます。
2026年のスマート社会において、電子決済が止まることは生活への直撃を意味しますが、日常生活を制限してでも記憶の封じ込めが優先されます。物理的な天安門広場周辺の警備も強化され、観光客に対しても不自然なほどの厳しい手荷物検査が行われます。
このように、国家全体が「あの日」の存在を全力で否定するために動く姿は、他国では見られない異様な光景です。
現代の若者が教科書や教育で受ける記憶の抹消

デジタル検閲以上に根深いのが、教育による「記憶の抹消」です。
中国の義務教育課程において、1989年の出来事は歴史の空白地帯となっています。歴史の教科書では、1980年代後半の政治的緊張について触れられても、「党が動乱を平定し、社会の安定を守った」という短い記述で終わるか、あるいは完全に記述自体が存在しません。
このため、1990年代以降に生まれた「網紅(ワンホン)」世代やZ世代の多くは、留学やVPNを通じた海外サイトへのアクセスがない限り、自国で何が起きたのかを全く知らずに育ちます。
この徹底した教育の結果、世代間での歴史認識の分断が生じています。親の世代は「あの日」を知っていても口を閉ざし、子の世代はそもそも知らない。このようにして、歴史は家庭の中でも継承されることなく、人々の記憶からゆっくりと削ぎ落とされていくのです。
これは、情報のアクセス権だけでなく、「歴史を知る権利」そのものがコントロールされていることを意味します。
生成AIのDeepSeekに見られる政治的回答の制限

2026年、AI技術は飛躍的な進化を遂げ、中国発のAIモデル「DeepSeek(ディープシーク)」なども世界的な注目を集めています。しかし、これらの高度なAIも、政治的なトピックに関しては強固な「ガードレール」が設けられています。
天安門事件についてDeepSeekに尋ねると、「その質問には答えられません」という定型文か、あるいは政府の公式見解に沿った「社会の安定を優先した措置」という回答が返ってきます。
中国政府は、AIが「社会主義の核心的価値観」に反する情報を生成することを法律で禁じており、AI開発企業は厳格な自己検閲を組み込む義務があります。中国でのAIは歴史を照らす灯火ではなく闇を深めるカーテンです。
ユーザーがどれほど巧妙なプロンプト(指示文)を使っても、政治的な地雷を避けるように設計されたアルゴリズムは、常に沈黙を守ります。
よくある質問(FAQ)
Qなぜ天安門事件の犠牲者数は今も「不明」のままなのですか?
Q中国国内で「戦車」や「6月4日」をネット投稿すると即座に拘束されますか?
Q「5月35日」のような隠語は、今の中国の若者に通じるのでしょうか?
Q最新AIのDeepSeekが回答を制限するのは、技術的な限界ですか?
QVPNを使って海外の情報を得ている中国人は、真実を知っているのでは?
Q香港で毎年行われていた追悼集会は、今どうなっていますか?
天安門事件のタブーと情報の自由

ここまで、天安門事件がなぜ現在の中国において「究極のタブー」とされ、どのような技術で封じ込められているのかを見てきました。
このタブーは単なる過去の隠蔽ではなく、現在の統治システムを維持するための「終わりのない防衛戦」そのものです。しかし、どれほど巨大な壁を築き、最新のAIで検閲を繰り返しても、歴史の真実を完全に消し去ることは不可能です。
タブーを維持する4つの柱
事件の忘却は、「歴史の隠蔽」「デジタル検閲」「AIフィルタリング」「教育の抹消」という多層構造によって強制されています。しかし、国外のアーカイブや遺族の祈りは、今もその壁の隙間から真実を照らし続けています。
| 統制の側面 | 2026年現在の実態とリスク |
|---|---|
| デジタル空間 | 「金盾」とAIによるリアルタイム検閲。隠語も即座に無効化。 |
| 次世代AI | DeepSeek等の国産AIに課された厳格な「ガードレール」。 |
| 教育・記憶 | 教科書からの削除による、若年層との「歴史認識の分断」。 |
2026年の今、情報の自由とは単に検索ができることだけを指すのではありません。その情報が誰によって、どのように管理・加工されているのかを正しく見抜くリテラシーこそが、私たちの自由を守る鍵となります。
37年という月日が経過してもなお、この事件が問いかけてくるのは「社会がいかに歴史と誠実に向き合うべきか」という重い課題です。天安門事件という鏡に映し出されているのは、他国の問題だけではなく、私たちが享受している情報の価値と、それを守り抜く責任そのものなのです。
本記事は2026年2月現在の公開情報および調査に基づき執筆されており、中国国内の法規制やAI技術の仕様変更により、情報の正確性が損なわれる可能性があります。地政学的リスクに伴う通信制限や法的判断は極めて流動的であるため、現地での言動やビジネス上の判断に際しては、必ず公的機関の最新情報や専門家のアドバイスを確認してください。
■ 本記事のまとめ

